9月22日(日)放送の
【ザ・ノンフィクション】にて
汪楠(ワンナン)さんが特集されます!
汪楠(ワンナン)さんは
最凶の半グレ集団である
怒羅権(ドラゴン)の創設メンバーなのです…!
半グレ集団とは
暴力団には所属せずに犯罪を繰り返す集団のこと
”治安を脅かす新たな反社会勢力”と位置付けられる
半グレ集団の怒羅権(ドラゴン)の創設者なんて
ヤバさしか感じませんがそんな汪楠(ワンナン)さん
現在は東京の下町で静かに暮らしているんだとか。
果たして怒羅権(ドラゴン)創設者の
汪楠(ワンナン)さんとはどんな人物なのか?
経歴と今現在に迫ってみたいと思います。
汪楠(ワンナン)のwiki風プロフィール
名前:汪楠(ワンナン)
生年月日:1972年
出身地:中国吉林省長春市
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半グレ集団の怒羅権(ドラゴン)の創設者である
汪楠(ワンナン)さんは中国にいた頃は
優等生だったんだそうです。
しかし、両親が離婚したことを
きっかけに生活がガラリと変わってしまうことに…
来日した汪楠(ワンナン)さんを待っていたのは
同級生からのイジメ。
周囲への不信感を募らせていき
言葉もわからないことから成績もビリに転落。
その時の悔しい気持ちが後に
怒羅権(ドラゴン)創設に繋がっていくのでした。
怒羅権(ドラゴン)の創設メンバーは
中国残留孤児2世・3世が中心となっており
汪楠(ワンナン)含めて12人で
当初はリーダーは居ませんでした。
ちなみに怒羅権(ドラゴン)という名前ですが
日本語ができないこともあり「トラコン」と
書いてしまったりと間違いが多かったため
当て字で「怒羅権」としたそうです。
暴力の限りを尽くした結果
関東連合と並び、怒羅権(ドラゴン)の名は
広く知られることになります。
怒羅権(ドラゴン)時代の汪楠(ワンナン)
汪楠(ワンナン)さんは怒羅権(ドラゴン)に
所属していた当時を振り返り
普通、人って誰かを殴るときにためらうじゃないですか。でも俺らは、何度も喧嘩を繰り返しているうちに、その感覚が麻痺してしまった。相手が死ぬかもしれないとわかっていても、一切躊躇はなかった。俺たちにあったのは、世の中のすべてに対する“怒り“。それだけです。
と語っています。
汪楠(ワンナン)さんは学生時代の怒りを
原動力にして暴力を繰り返していました。
怒羅権(ドラゴン)創設当時は
暴走族全盛期時代だったこともあり
バイクを盗んで無免許で走り回っていたそうです。
そうして”暴走族”として
けんかを繰り返しているうちに
”半グレ”へと変貌する事件が起きてしまうのでした。
浦和事件で死者が
汪楠(ワンナン)さんは
1989年に浦和まで遠征にいきました。
帰り道で怒羅権(ドラゴン)のメンバー8人が
地元の暴走族に襲撃され乱闘に発展。
相手の人数は50人!
そんな状態で刃物を振り回しているうちに
怒羅権(ドラゴン)のメンバーが
相手の暴走族の一人を刺し殺してしまいます。
事件当初、汪楠(ワンナン)さんたちは
正当防衛だと主張しますが
警察はそうは考えずに刺した本人は
殺人で逮捕されてしまいます。
怒羅権(ドラゴン)はこの字得kんをきっかけに
警察に反発するようになり
交番やパトカーを襲撃するようになりました。
ヤクザとの抗争勃発
浦和事件から一年ほどたったある日
汪楠(ワンナン)さんは先輩と地元の
焼肉屋で食事をしていました。
そこであろうことか
ヤクザと喧嘩になってしまい
もみ合っているうちに大勢のヤクザに
圧迫され先輩は亡くなってしまうことに…
半グレ集団のメンバーだった
汪楠(ワンナン)さんとは違い
先輩はまじめに働いている人だったそうです。
この事件をきっかけに汪楠(ワンナン)さんは
ヤクザにも敵対心を持つようになり
怒羅権(ドラゴン)はヤクザの組事務所を
襲撃するようになります。
結果、ヤクザとの抗争の中で
多くの仲間が亡くなることになっていきました。
住吉会系組員に
汪楠(ワンナン)さんは
怒羅権(ドラゴン)在籍中に
住吉会系の事務所に所属します。
当時17歳でした。
しかし、1年後に自身の金を盗まれたことから
組員の腕を日本刀で切り落としてしまい出頭することに…
少年刑務所で2年ほど過ごし
出所後、違法ポーカーの店を仕切りますが
別の組と揉めて25歳で組を破門になってしまいました。
そして13年の服役へ
汪楠(ワンナン)さんは組を破門された後
ヤクザの事務所を襲撃しながら
ヤクザのジム所に忍び込んで金銭を盗み出していました。
結果的に10件以上盗みに入り
10億円以上も稼ぐことになります。
しかし、2000年に逮捕され
13年間服役することになるのでした。
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